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ヘルプの風

ヘルプの風

ヘルパー見聞録・2020年~オクムラが認知症ケアとか訪問介護とかをテーマにエッセイという名の思い出話を結構な頻度で綴っております

2021/03/23 ひっそりとお知らせです

このブログというかエセコラムという駄文を、ひっそりと閉じようと思います。
もともと見切り発車でしたが、結果を言うと、書けなくなったからです。

文章を書くことは、自分を見つめることです。

自分自身のことを書いて、それを発表するのは、心臓をえぐり出してお見せするようなことです。少なくとも私はそう思っています。だからとても痛みを伴うのです。それでもやってみようと思ったのですが…。
 

書けなくなったのは、やはりコロナです。

コロナという病気そのものより、それをとりまく社会と世情、人の心、時代、
そういったものが、私の中でまだ噛み砕けない、しっくりこない…。そして私は言葉が出てこなくなってしまいました。

 

仕事はしっかりしております。

ただ自分のことを顧みて文章をしたためているエネルギーを、一日、一日、今日、生きるために全力投入しているというところなのです。

 

この仕事をしていると、たくさんの人の人生の隣に立ちます。
嬉しいこと、哀しいこと、そのたびに、心が震えます。
その心の震えを言葉に置き換えていくには、とてもエネルギーがいります。

 

私は今、心の動きを言葉に置き換えるエネルギーを、日々の現場で頑張っている職員のサポート、不安の中で人生を過ごす利用者さんとその家族、
ゆいまぁるや介護とは関係ないけれど、今、生きることが苦しくてつらいと思っているひとに、使いたいと思うのです。

 

なんだかえらそうな文章を書いてしまいました…

ただの見切り発車の計画無しの言い訳です。

ここまで読んでくれていた方がいたら本当にありがとうございます。
法人の場で、超個人的なことを書くというチャレンジでした。
私のこんな無謀なチャレンジをやさしく見守ってくださったこのゆいまぁるという法人に感謝です。

コロナが落ち着き、私の心がまた文字を作り出すことができるようになったら続きを書きたいと思います。


みなさまが心穏やかに過ごせる日が早く来ますよう、心から祈ります。

 

このブログの活用についてはまた少し検討いたします。

 

奥村

 


 

2020/07/03 私とおじいちゃん⑬

 

コゾを救出して一晩面倒を見た翌日は、祖母の三回忌だった。


私たちは法事のために、都内の寺へ行かねばならない。なので、おじいちゃんを連れて、家を空けなければいけなかった。
 

出かける準備をしていると、庭にキンメが来ていた。

 

急いでコゾを連れて行くと、キンメは何事もなかったかのようにコゾをつれて庭から去っていった。

 

あまりのあっけなさに気が抜けた。
何はともあれ子猫を親元に返せた。とりあえずよかった。

 

ホッとしていたのもつかの間。
法事を終えて帰ってきた翌日、またコゾが1匹で庭で鳴いていた。

 

キンメはちょこっと庭に顔を出したけれど、コゾを連れて行く気はさらさら無いといった態度で
「一時だけ預かりましたけど、あとはよろしくね」

という感じだった。
 

その後もずっとコゾは庭に置きっ放しにされていた。


命を助けた子猫が、たった一匹で、心細そうににゃぁにゃぁ庭で泣いていたら、どうする?
 

愛猫家だったらじっと我慢していられるわけない。

 

それに子猫ってやつは一度抱いてしまったらもう駄目なのだ。もう、ほっとけないのだ。
心をすべてかっさわれちゃう生き物なのだ。

 

この子は、もう、うちの子だ。

それは決定事項だった。

 


今の時代、猫は室内飼いするのがセオリーだけど、
この頃は、うちの周りはまだ畑の多い田舎町で、飼い猫も自由に外と家とを出入りするような飼い方がポピュラーだった。
 

なので、コゾも半室内、半外飼いの猫になった。
そして不思議なことに、しばらくコゾと暮らしていたら、私のアレルギー症状がほぼとまった。

 

アレルギーって過剰な免疫反応だ。
この頃の私はノイローゼ期だったから、免疫力もだだ下がりだっただろう。だから私の体も猫に反応してる場合じゃなかったのかな?なんて思うのだけど。真相は闇だ。


認知症のおじいちゃんと、ノイローゼの私と、ワーカーホリックの母とのいびつな三角形の中心に、コゾがやってきた。

 

家族の形が変わった日だった。


そしてこの日からいろいろなことが動き出した。

 

つづきます

 

2020/06/29 地域の片隅から…②

 

ここのエッセイ(もどき)は、わりと書きためているのですが、
なんとなく、このご時世に、のほほんと過去の話を書いているだけでいいのか悩んでしまって…
ずるずる更新が延びておりました。

 

もっと、今、伝えないといけない言葉があるように思うのですが、
今書き出すと、すごく感情的になってしまうような気がして。
もう少し自分の中で咀嚼してから書き起こした方がいいのかなと思うところで、なんとも悩ましいのです。


 

2019年度は管理者交代からはじまり、事業所の引っ越しがあり、慌ただしい年でしたが、そこに輪をかけて、今回のコロナ問題…。
 

ゆいまぁるは先日、無事に法人の総会を終えました。

 

私自身としては、訪問介護の仕事は1年生ということもあり、現場だけでもてんやわんやでしたが、
それでも1年間なんとかやってこられたのは、職員達がきっちり現場を守ってきてくれたからだと思います。

本当に心から感謝です。

 


私たちは、今、大きな価値観の転換期に立っています。
 

あたりまえのことがあたりまえでなくなる…
 

殺伐とした雰囲気が世間に広まっていて、気の滅入る日々…
 

そんな今だからこそ、本当に大切なことはなんなのか、見極めるチャンスではないでしょうか。

 

 

「いちばん大切なことは、目に見えない」

 

星の王子様の言葉です。
本当にそうだと思うのです。

 

命は何よりも優先されるべきですが、豊かな人生があってこそ、ひとりひとりの命が尊重されると思います。
 

 

医療は命を救う仕事 介護は人生を支える仕事です。

 

 

現場の職員が淡々とこなしている日々の仕事が、多くの方の豊かな人生を支えています。

だから私は現場の職員のことを心から誇りに思います。

 

「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える」
 

ルターの言葉です。迷った時はこの言葉を心に浮かべます。

まずは目の前のことをひとつずつ。


変わっていく風景の中、変わらぬ思いを…!
 

 

また次回からおじいちゃんとの話の続きを書きます。

 

2020/06/05 私とおじいちゃん⑫


私の母は、義を見てせざるは勇なきなり、を座右の銘にしているような人なので
 

ちょいちょい私なら面倒くさくてスルーしてしまうようなことも、しっかり拾ってくるタイプの人だった。
 

 

そして私に輪を三重にかけるくらいの、無類の猫好きだった。


 

正直、私は母が子猫を拾ってきたことを、面倒なことになったなと思った。
無責任な人間の最たる思考だ。

 

拾われてきた子猫は、衰弱していて、目やにと鼻水でぐちゃぐちゃの顔になっていた。

 

うちの庭の一部には、植木鉢を置いているスペースがあって、

植木鉢を置くために、コンクリートブロックで台を作っていた。
子猫はそのコンクリートブロックの穴にすっぽり詰まってでれなくなっていたのだ。


 

拾ってきちゃったものはもう仕方ない。
元の場所にはもう戻せない。

 

私がぼんやりしている間に、母は秒で動いて、動物病院へ駆けていった。

 

この行為は、良いことなのか悪いことのか? 基準はどこに求めればいいのかな? 倫理的に?世論的に?常識的に?
 

そんなのわかんない。

 

この猫をうちで飼うのか? 野良として親元に戻すのか? 地域猫にできるのか?

 

そんなことはうちの母にはどうでもいいことのようだった。

 

今、腕の中に死にそうな命があったら手を差し伸べちゃうのが、人情じゃないか。
 

うちの家風はもともと江戸っ子気質なのだった。

 

のちにコゾと命名される子猫が、我が家に来たのは、祖母の三回忌の前日だった。

 

 

猫はかすがい。

 

 

この日は、我が家に新しい家訓ができた日でもあった。

 

続きます

2020/05/26 私とおじいちゃん⑪

 

キンメが庭に姿を現さなくなった。


やはり野良猫だもの。
ずっと一緒にはいられない。
いつ事故にあうかわからないし、どこかで派手なケンカをしてそのまま野垂れ死ぬかもしれない。

 

猫は死期が近づくと人の目の届かない猫の墓場でひっそり死ぬ。

 

そんなお伽話しのような迷信を子供の頃から信じていたから、
もしかしたら、キンメにもその時期が来て、約束の場所へ行ったのかもしれない。

 

 

いろいろなことを考えてしんみりしていたある日、キンメが庭に戻ってきた。
 

三匹の子猫を連れて。

 

私は慌てて近くの量販店に子猫専用のエサを買いに走った。

うちの庭に来ない間にキンメはどこぞかで出産して、母猫になっていたのだ。


 

子猫は白地にまだらに茶色のトラ模様が入っていて、とにかく愛くるしかった。
 

父親は…?と考えて、私は首を傾げる。

 

キンメはいつも灰色のトラ柄のボス猫と行動を共にしていて、
そこに茶トラの雄猫がちょっかいを出しては、灰トラボスに威嚇されて追い払われるという構図があった。

 

子猫たちは、その柄から察するに、どうにも茶トラの血を継いでいる。

やるな茶トラ…。ボス猫の牽制を振り切ってアタックしたんだな。
猫の世界のワビサビと恋愛事情を垣間見たという感じ。

 


キンメ親子はうちの庭で食事をして、ひなたぼっこをして、ねぐらへ帰って行った。

 

…そのはずだったが、日が落ちた後、庭先で子猫の鳴き声が聞こえた。
 

様子を見に行くと、親猫の姿も子猫の姿も見えない。

 

人の気配がすると子猫の鳴き声は消えてしまう。
家に入ると、やはりどこからか子猫の鳴き声が聞こえた。
庭に行けば声は聞こえなくなる。
その繰り返しだった。

 

心臓がかきむしられるようなものすごく悲しい鳴き声だった。

なんとか親猫が見つけて連れ帰ってくれるといいなと思った。
 

だけど、心の半分では、子猫は迷子になって庭のどこかで誰にもみつけてもらえず力尽きるかもしれないとも思った。

 

子猫が庭で死んだとしたら、それはそれでしかたない、それまでの命だったのだ。

 

当時の私はちょうどノイローゼ期で、自己嫌悪の塊になっていた。
年老いた祖父に日々暴言を吐いて手を上げそうになっているこんなダメ人間は、子猫が不幸な目に遭っても動じない冷酷な人間なんだ。
そう思っていた。というか、そう自分に言い聞かせていた。
そうしないと心が砕けてしまいそうだったから。

 

そもそも野良猫に餌付けをすること自体、無責任な行動だ。
私は無責任な人間だ。だからダメな人間だ。ダメな人間だら無責任なことをするんだ。
自己否定と自己嫌悪を繰り返す絶望のループだった。


 

翌朝、私の母親が庭から衰弱した子猫を抱き上げてきた。

 

「そうだった! 私の母親は! こういう人だった!!」
 

私はその場で膝から崩れ落ちた。
 

 

つづきます

2020/05/13 地域の片隅から…


兎にも角にもコロナが大変だ。

 

大変すぎて4月の記憶がない。

とりあえず仕事していたな… あとは家で映画を見ていたような…

 

記憶もないし、マスクもないし、アルコールもない。

 

使い捨てエプロンもないし、フェイスシールドもないし、体温計もないし
なんだか小麦粉もホットケーキミックスもないらしいね。

 

電気グルーヴのNOの歌詞みたいなだな~とぼんやり思う。
ヒマじゃないし、カーテンもないし…

 

ナイナイづくしで、ついでに人手もない。

 

有るのは、とにかくやるっきゃないっていう気力と、介護請求の締め切りだ。

ハッと気づけば月初めの請求業務に追われていた。

 

どんなに大変でも締め切りはくる。

しんどいけど、締め切りがあるってのは、普通の日常がちゃんと地続きに続いているんだって感じがして
平穏を保つ装置に思える。


 

すべて世はこともなし。

 

早くそう言えるようになりますように。

 

 

医療はもちろん最前線だけど、訪問介護の現場だって最前線だ。
 

ソーシャルディスタンスなんて守れる仕事じゃないのに、
デイやショートが休みになれば、その分訪問の需要は増える。


もともと人手がないし、訪問介護はわりと小さめの事業所が多いから、
「利用者も職員の安心安全も守りたい」
心からそう思っていたって、圧倒的に物資がないのだ。
配ってあげたくても、マスクもなんもないんだ本気で。

 

職員みんなは不安を抱えながらも、自衛をして最前線で向かい風を浴びてくれている。
頼もしい反面、私は自分の無力さに絶望してしまう。


私が石油王だったら、100億万枚マスクとゴーグルと手袋と使い捨てエプロンを全国の訪問介護の事業所に寄付するのに。
 

急いで油田を掘り当てなくちゃ!

 

 

閑話休題

 

 

訪問介護は駅伝だ。

(このフレーズを私は最近使いまくってるんですが)


駅伝はサッカーや野球のように仲間達とチームプレイはできない。
孤独だ。
ひとりひとりが与えられた区間を孤独に走りきる。
でも、絶対にタスキを次へ繋ぐんだ。
 

一人一人が自分の特性を活かして、与えられた区間に責任を持つ。
そしてみんなで一緒にゴールを目指す。
それが駅伝のチームプレイだ。

 

訪問介護もこれだなって思う。

 

単独で他人の家というテリトリーに入っていくのは、確かにその場では孤独だ。
 

でも、本当の意味での一人きりではない。サービス提供責任者がいて、ピンチランナーに入ってくれる仲間もいるし、他事業所もサポートしてくれる。

 みんなでタスキを繋いで、箱根の山を登ってるんだ。

 

ひとつの事業所が一人勝ちできる時代はとっくに終わってて、
今は、地域の訪問介護の事業所が連携して、ネットワークを作っていかなければ、もう間に合わない。
 

だから、今、小さな事業所に支援が届くようにしなくちゃいけない。
 

小さな事業所がつぶれ始めたら、これはもう連鎖しちゃう。タスキがつながらなくなっちゃう…。

 

そうしたらどんどんどんどん必要な在宅での支援が零れていってしまう。
 

大手の企業だけ残っても絶対に間に合わないよ。待ったなしって切実に肌で感じる。

 

 

何をしたらいいんだろう。何ができるんだろう。

 

私はとりあえず、コンビニで募金をして、自転車に乗って仕事に行く。
今は、仕事があるのが、ありがたい。
ここに、日常がある。ここに、人生があるんだ。
できることから、やっていくしかないね。
 

まずは請求業務だ

 

 

2020/04/30 私とおじいちゃん⑩

 

うちには猫の額ほどの庭がある。
 

この庭は、そこいらあたり一体を縄張りにしているボス猫の巡回コースとなっていた。
 

そのボス猫は、ふてぶてしく、人間が近づいてもまったく物怖じしない、体の大きな灰色のトラ猫だった。

 

私はボス猫にこっそりエサをやっていた。
味噌汁用の煮干しとか、鰹節をかけたご飯とか。

(※野良猫へのエサやりはほんとはいけないことなんだけど、10年も前の事なので、許してほしい…)

 

そのうち、ボス猫に連れられて、真っ白なメス猫がやってくるようになった。
 

金色の目がとても鋭くて、

「たとえエサをもらったとしても、絶対に人には媚びないぞ」

っていう気概のある、美しい猫だった。


金色の目の白猫は、だんだんにボス猫なしでも単独で庭に来るようになった。
 

その頃、金目とは別にもう一匹白猫がやってくるようになっていた。

もう一匹の白猫は、オッドアイで、片目が金色でもう片方は真っ青な色をしていた。
 

 

後から分かったことだが、この二匹にはもう一匹姉妹がいて、その猫は真っ白な毛並みで両目ともにブルーアイズで、うちの裏手の家の飼い猫となっていた。

 

 

白猫の姉妹は、金色の目の方をそのまま「キンメ」、オッドアイの方を「シンバ」と呼ぶことにして、
 

私の餌付け活動が始まった。

 

うまく馴れてきたら避妊手術をして、ご近所猫としていきたいと思っていたんだど、
 

二匹は、「媚びません、触らせません、抱かせません。エサだけはいただきます」という非常に気高い野良猫だった。

 

うちの庭には、他にもボス猫にケンカに負けながらも白猫姉妹にちょっかいをだしにくる茶トラ猫とか、近所の家の外飼いの猫もちょくちょく集まってきていて、ちょっとした猫の社交場として賑やかなことになっていた。

 

 

気づけば、うちの玄関先に猫用フードのカリカリと缶詰が常備されるようになっていた。
猫じゃらしも買ったけれど、どの猫もまったく遊んでくれない。
本当に人に媚びない気高い猫たちばっかりなのだった。

 

私はめちゃくちゃ猫好きなのだが、子供の頃から喘息持ちのアレルギー持ちだったので、
どうしても家で飼うことができなかった。

 

なので、野良猫たちと庭で過ごす時間は、幸せな憩いのひとときだった。

 

そんなある日、キンメが庭に姿を現さなくなった。

 

続きます

2020/04/17 私とおじいちゃん⑨

 

 

がんばらない介護ってのはいつから言われてるのかな?
 

ネット検索すると認知症の人と家族の会の2011年の記事にヒットするし

頑張らない介護生活を考える会ってのも2011年ころから活動してるから
まあ、10年くらい前からなのかな。

 

「がんばらない」

 

といったって、実際どうしたら良いのか、当事者になってみてもさっぱりわかんないもんだ。

 

だって、私たちって、子供の頃から「頑張れ!」「努力しろ!」って教わってくるじゃないか。
 

なのにいきなり、

「がんばらないでいい」

って言われても、

「え?どうしたらいいの…?」

ってなっちゃう。
 

ハシゴを外されるっていうか。


社会に出れば周囲から、「結果を出せ」って責められるでしょ?
実際的な言葉で無くても、無言の圧力っていうか、空気感みたいのがあるじゃない。

 

だから努力と友情で勝利を掴んできたのに、

介護をはじめると、いきなり

「いや、そーゆーのいいから。介護に勝利とかないから」

って言われるんだら、戸惑っちゃう。

 

その結果、「頑張らないことを頑張ってやる」みたいな、わけのわかんない状態になっちゃって。

 

気づけばへとへとになっちゃう。


えらい人の本を読んでると、

介護に「正しい方法はない」とか「勝利はない」とか「ゴールはない」とか書いてあって、

「じゃあ、どうしろってんだよ?????」って私はいつも絶望してた。

 


リハビリとかの勉強をすると、障害の受容過程として
①ショック状態から始まって、②否定 ③悲しみと怒り ④適応 ⑤再起となる、ってのがある。

 

認知症介護のケアする側もほぼ同じ過程を辿っていくんだなって思った。


「頑張って」介護していると③くらいで力尽きて、せつなくてつらい結果になったりする。
 

私がノイローゼになってたのも③の段階だ。

 

この過程は、どんなに器用な人でも、スキップできない。
順々に踏みしめていくしかないんだ。

 

だいたい②と③を行ったり来たりする時期が長いんじゃ無いかな。
④まで進んでも、スッと②に戻ることもあるし。スマートにクリアーしていけるものでないのが難しいところ。

 

 

この③までは、物語でいうと起承転結の、起、承までになる。
ここから「転」にいけるかは、ケアする側の「頑張らない」しだいだ。

 

どうやったら「がんばらない」ができるんだろう…

生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ、とかいっている場合じゃないって感じ。

 


ここまで書いてきた私のエッセイという名の思い出話は、
要約すると、
介護生活に、努力と頑張りで真っ正面から挑んで、全敗して、ノイローゼになったということ。


セオリー通りって言ったら身も蓋もない感じ…

 

なのでつまり、これから転へ進んでいけるかどうかってところです。


つづきます
 

 

2020/04/04 私とおじいちゃん⑧

 

介護ノイローゼが絶好調になって、

私は近所のクリニックへ行くことにした。

 

というか連れて行ってもらった。

 

そこの先生は内科と兼務?で精神の方も受けていた。
 

私としては、そんな片手間(偏見)で精神科をやっているような小さな町医者じゃなくて、

もっとがっちりした精神科へ行きたかった。
 

どうせ行くなら、なんかもう東大とかの精神科へかかりたかった。

 

 

 

ブウウーーーーンンンーーーーンン
私が目を覚ますと、ミツバチのうねるような音が耳の内に確かに残っていた。
見慣れぬ天井は高く、裸の電球がたった一つぶら下がっている。
真白な壁と真っ白な床、窓は無く、ただぽつんとパイプ椅子だけが置かれている。
私は精神病院の一室にいた…

 

みたいな!ね!!そんな感じのね!
ドグラマグラみたいなのをさ、想像というか期待していたわけ。


 

クリニックの先生は私の様子を見て、すぐに察したようで
「大丈夫、大丈夫!」

と笑って、薬を出してくれた。
 

それは、旅行先で枕が変わってよく眠れない人とかが処方されるような、弱い睡眠導入剤だった。

 

 

なにが大丈夫だふざけんな!

大丈夫じゃ無いから恥を忍んで来てんだろが!!
こんな小さな薬で、こわれちまった私を救えるのか? 

なめんじゃねぇ、どんだけこっちがぶっ壊れてるとおもってんだ!いいかげんにしろ!
 

 

頭の中で罵詈雑言をはいていたけど、私は素直に薬を飲んで寝た。

 

 

実によく眠れた。

 

 

 

とにかく寝た。

 

どうせ本も読めないんだし、頭がバカすぎて勉強もできないし。
寝るしかすることがないんだもん。

 

人間てふしぎだな~ってこのときしみじみ思った。
 

というか、すごくメカニカルなところがあるんだなって思った。

 

 

ちゃんと眠ると、脳が回復する。脳が回復すると、心が安定するんだね。
 

寝るってすごく単純なことだけど、びっくりするくらい効果がある。


だんだん本が読めるようになった。
 

前は3時間ぶっ通しで1冊読破するとかざらだったけど、
その時は10分読んだら休憩するって感じで、読める速度もめちゃくちゃ遅かったけど、
 

それでも、言葉がちゃんと意味をもってくれることが嬉しかった。
 

 

ちょっとずつ集中力が戻ってきて、映画をみたり音楽を聴いたりすることもできるようになって、日々、リハビリって感じで。
 

 

一度ぜんぶこぼしてしまった大切なものを、

ひとつひとつ確認して拾い集めていく作業だった。

 

回復してくると、

「私って思ったほど壊れてなかったのかも…。

ていうか、こういうのって特別なことじゃなくて、すごく普通のことなのかも…」

って思えて、なんか気恥ずかしくなった。

 

 

人ってわりとすぐ壊れちゃうし、わりとすぐ回復もできる。

 

 

薬が切れてクリニックに行ったら、先生は「大丈夫、大丈夫!」と、同じ笑顔だった。


つづきます
 

 

2020/03/28 私とおじいちゃん⑦


私とおじいちゃんの生活は、ふたりきりってわけではなくて、
私の母が一緒にいたので、つまり3人の生活だった。

 


母も明らかに私が壊れ始めているから、かなり気がかりだったろう。

 

高齢の父親は認知症で、その介護をしている娘がノイローゼで壊れ始めてて、
でも自分は稼がないといけないから仕事に行かないといけない。

 

客観的に見ると、わりと限界だったよね。

 

でもその中にいると、自分たちの限界値がよくわからないものなんだ。


 

歪な円を描いて、私たち家族は一つ屋根の下でひっそり生きていた。

 

 


そのうち私は眠れなくなった。
 

横になって、うとうと…とするとすぐにハッと目が覚める。
神経がばっきばっきに冴え渡ってしまっているのだ。
なんとか寝ついても、浅い夢がずっと続いていて、起きると寝るよりも疲れ切っている。
 

夜中に何度も目が覚めて。

だからって起きあがっても何もできない。

本も読めない、テレビも見れないんだから。
 

日中はだるくて眠くて仕方が無い。

でも横になっても脅迫的な夢が断続的に続いて何度も目を覚まして、昼寝もできない。

 

 

寝ないと、人ってほんとダメになっちゃうんだ。
 

三徹でナチュラルハイとかそんな次元じゃ無くて。
 

脳みそと、魂と、体と、神経が、全部バラバラになって、

自分という存在の一体感がなくなっていくんだ。

 

 

「息の仕方を知ってるなんて奇跡だぜ」
 

ってのはアイデン&ティティって映画の名台詞なんだけど、
まったくもってそんな感じで。
 

そして私はもうその奇跡を手放しちゃったんだ。

 

私の自尊心はバッキバッキに折れてしまって。息の仕方なんかとっくにわからない。

ただ何かを食べて排泄するだけの肉の塊になってしまったという無力感。

自分に生きる価値が見いだせない。

だからといって死ぬ元気もない。

 


もうだめだ。ココがどん底だ。

 

自分の中で、何かが、パキンって割れる感覚があった。

 

そして私は母親の前で泣き叫んでいた。


 

「私はもうムリ! 病院に行きたい! 病院へ連れて行って!」

 

やっと助けてって言えた瞬間だったのかなって思う。

 

私は偏見の塊だったから、

メンタル系の病院とか薬に頼るのは、私とは違う人種だと思っていた。
 

私には病院や薬の代わりに、本とか漫画とか映画とか音楽とかがあるから、精神の安定はこれで昇華するから大丈夫って思ってた。

 

でもノイローゼになったら、

自分が大切にしていたものが、手のひらから全部零れていって、

何も無くなってしまった。

 

母も、たぶん私が自分でギブアップするタイミングを見極めてたんじゃないかなって思う。
 

自分から弱音を吐く前に何か言っても、その時の私の耳には何も届かなかったと思うから。

 

つづきます

2020/03/23 私とおじいちゃん⑥

 

おじいちゃんと生活していたこの頃、私はドイツに留学したいと思っていた。
なのでバイトをして資金を貯めつつ、ドイツ語のスクールに行って勉強をしていた。


日々降り積もる無気力。
その容量が増すにつれ、起こった変化は、感情と表情が死ぬだけではなくて。
自分の頭がびっくりするくらいバカになっていた。


まず集中力が持続しない。
続いて、なにか一つのことを決めることができなくなった。


ずっとずっと読書が生きがいだったのに、本が読めなくなった。
 

同じ行を何度も目でなぞる。文字が言葉にならない。言葉がイメージにならない。
ただ、文字が連なっているだけだ。
言葉に意味が乗ってこない。言葉の先に広がる世界が何も見えない。
イマジネーションがまったく働かないのだ。

 

得意だったドイツ語がまったく理解できなくなった。
 

単語は欠片も覚えられない。アルファベッドが視界の中でぐにゃぐにゃになって、意味をなさない。
活字を見てるだけで、息切れまでしてくる。

 

漫画もアニメも見れなくなった。

目がチカチカして、画面を見ているのが苦痛だし、
台詞が耳の中でキンキンして意味が聞き取れない。

 

私は喫茶店で読書をしたり、勉強をするのが学生時代からのライフワークだったんだけど、
喫茶店に行くと、他人の会話が異常な音量で鼓膜に入ってきて、店内のBGMも店員の会話も、カップをソーサーに戻す些細な音も、全ての音が等価値で鼓膜を突き抜けて、脳みそへ飛びこんでくる。
うるさくていてもたってもいられない。
なので、喫茶店にも通えなくなった。

 

だからって家でおじいちゃんのそばにもいられない。
部屋に籠もっていれば、ひどい閉塞感で息が詰まりそうになって、読書もできない、TVも見れない、外へもいけない…

 

完全にノイローゼだった。
 

今では介護鬱ってカテゴリーなのかな

夏目漱石をリスペクトするなら神経衰弱かな

 

 

あ、もう、ダメだ、って思った。

 

私は、もう、壊れちゃう。

 

人間て、こうやって壊れていっちゃうんだ。

 

それはわかる。でもどうしたらいいかは分からない。

ひどい焦燥感ばかりが募った。

 

つづきます

 

2020/03/16 私とおじいちゃん⑤

 

 

おじいちゃんの同じ話のループを聞き続ける日々は、いつまで続くんだろう。
 

おじいちゃんの介護をし続ける生活は、いったいいつまで続くんだろう。

 

ゴールってなんだろう?

 

ゴールがおじいちゃんと暮らす生活の終了を意味するならば。
ゴールを目指すってことは、この人がこの場所から居なくなることを目指すってことなのか?
 

それはつまり…

 

 

そこでいつも私は意識を強制的にシャットダウンした。
 

「それ以上考えたらいけない」って、

頭の中で警報がガンガン鳴っていた。

 


先の見えない日々は、暗くて空気も重かった。
 

暗いってのは、比喩じゃ無くて、本当に視界がどんより暗く見え始めるのだ。
 

脳に過剰なストレスがかかると、人間の目はコントラストの違いに対する感度が低くなる、

というのをネットで読んで、なるほどなって思った。

 

 

同じ話のループに耐えるってのは、経験したひとは分かると思うけど、本当に気が狂いそうになるんだよ。
 

こちらの話しを相手が覚えていないってのは、つまり会話が1つも成立しないってことなんだ。

 


だんだん私は、無気力感にさいなまれて、おじいちゃんの話を無視するようになった。
 

私から話しかけることもやめてしまった。

だってどうせ何を話しても覚えていないんだから無意味でしょ。

 

何を話しかけられても無視して無言を続けていると、感情が死んでいく感覚があった。
 

感情が死ぬと表情も死ぬんだ。


ふと洗面所で鏡を見ると、無表情のぬぼっとした自分の顔が写っている。
 

「これが私なのか?」

ぎょっとすることが何度もあった。
 

だけど、どうしようもなかった。
むりやり笑顔を作ってもぎこちなくて気味が悪かった。

 


感情が死んでいくと、怒りもさほど感じなくなる。
無力感ばかりが募って、全てのエネルギーが毛穴から大気へ抜けていく感覚があって、
私はここからもうどこへもいけないんだって思った。

 

重力が十倍くらい重たく感じられて、背中をぴんと張って立てなくなる。
 

西日に追われて、猫背になって、ずるずる重たい影を引きずりながら、量販店で尿取りパットを買って家路を行く。

 

家に帰れば、またおじいちゃんのループの話をBGMにして、眼球をアンモニア臭に刺されながら、玄関いっぱいに干されている濡れた尿取りパットを片付けるのだ。

(そして、その後、「干してたパットがない!」って怒鳴られるのだ)

 

怒りはない。苦しみもない。

あるのは、しんしんと積る無気力感だけだった。

 

 

つづきます

 

回を増すごとに文章量がガンガン増えてきたので、少しこまめに切っていこうかなと思います。



 

 

2020/03/09 私と読書②

 

私は十代のときに夏目漱石に出会って、人生直結カスタマイズされて今に至るわけで。

 

「向上心のないものはバカだ」
っていうのをすぐに引用しだしたりするイヤな感じの十代だった。


漱石は前期3部作と後期3部作があって、私は断然後期が好き。
前期は、恋愛がテーマ、後期はエゴイズムがテーマだとされている。

 

後期のエゴイズムの深掘りして描き続けた先に、漱石が則天去私に辿り着いていくのが、とにかくグっとくる。

 

漱石のエゴイズムは、「私の個人主義」という、本人が亡くなる2年前に学習院の学生向けに講演された内容に集約されていて。
 

簡単に言えば、自分の人生を自己本位に生きていこう、でも自己本位に生きるには、他者の自己を認める必要があるし、権力を使う場合は義務と責任があるよって話。
 

「則天去私」は、その言葉の通り、「私を捨て去って、天に則していく」って意味だから、「自己本位」とは真逆なんだよね。

 

この矛盾というか真逆の価値観を内包してるのが漱石文学で、とにかく私は漱石信者だから、黒いものも漱石が白だっていったら、なるほどそうかもって思っちゃう。
きれいはきたない、きたないはきれい、だもんね。


 

十代のうちにやっぱり本を読んで欲しい。
 

今も本を読むけど、やっぱりどうしても感覚が鈍ってきてるから、
「世界って醜いゼ、汚い大人になりたくないゼ」

ってくらいの尖った十代のバチバチの感性で沢山の本に触れてほしい。


十代の私はギンギンに尖った厭世家で、「どうやったら美しく死ねるかしらん…」とばかり考える耽美主義者だった。
漱石に出会ってなかったら、たぶん今居ないんじゃないかなと思う。


 

月並みだけど、星の王子さまとMOMOをおすすめする。 
日本文学なら、銀河鉄道の夜。
この3冊はぜったい10代の、触るものみな切り刻むような鋭利な精神状態の時に読んで欲しい。

銀河鉄道の夜は本じゃ無くてもいい、ますむらひろしがキャラデザしてるアニメ映画もサイコーだ。


しんしんとさみしさが胸に積もる。
もののあわれって感じ。
形あるものは皆壊れるし、栄えたものはいつか滅びるし、生あるものは絶対死ぬんだ。


日本人はもののあわれを好むって言うけど、もののあわれは日本人の美的感覚の根っこだと思う。

 

星の王子様はいろいろな人が訳しているから、読み比べるもいい。
私はにわかハルキストだけど、うわばみが出てくる内藤濯の訳が馴染みがあってやっぱりいい。


少し心が穏やかな時期なら、太宰なら「人間失格」より「斜陽」の方を読んで欲しい。
夏目漱石は「こころ」が一番好きなので、ここから入門してくれると嬉しいけど、「三四郎」でもいい。
「我が輩は猫である」は、どメジャーだけど、漱石文学の中ではちょっと読みにくいのでビギナーにはおすすめしないな。


読書家を名乗ってるから、ご多分に漏れず書評みたいのを書きためてた時期があったし、大学では日本文学を専攻してたけど
 

最終的に、すべて「しゃらくせぇ!!!」って気持ちに落ち着いた。


読み手がどう感じるかが全てだろって。
作者がどういう思いを言葉に乗せてるかなんて、こっち(読み手)が考えることじゃない。
伝えられないなら、書き手の力不足ってだけだろって。


だから、このブログも、(読んでいる人がいるなら)読み手の心に何が響くのかは私にはわかんない。
でも、ちょっとでも、爪痕が残るなら、嬉しいかなって思う。

 


つづきます。
次週からはまたおじいちゃんの話を書きます。
 

2020/02/28 私と読書①

 

何事もつかみが大事だから。
とりあえず一発目はいっちょかましますかって感じで、書き手の自己紹介とかバックグランウドはすっ飛ばして、インパクトのあるとこから書き始めてみました。


正直、自分のことを書くって決めても、
それって自分の人生を切り売りしてることだから、身が削がれるような痛みがあって。
それでも、書くなら今かなっていう、インスピレーションがあって。
それに従って駄文を綴っているわけです。


なので、ちょっとしんどくなったときに、
「私と読書」は本題から外れた箸休めっぽい感じで書こうと思ってます。

 


私は趣味が読書でして。
履歴書にはつねにそう書いてるし、人に聞かれてもそう答えています。
 

でも本当は、読書を趣味っていいたくない。

 

正直なところ、読書が本業で、その合間に仕事してるって気持ちがありまして。
なので、ゆいまぁるの仕事は、副業かもしれない…。
本業は収入がないので、副業で稼いで生きてるって感じ。

どっちも全力投球で真剣勝負ですよ。

 


読書家の人に言わせたら鼻で笑われる冊数だろうけど、今は平均すると週3冊くらいのペース。
私はスマホ中毒でもあるので、ツイッターとかネットニュースとか、アプリの漫画とかもずっと見てるから、
本好きというか活字好きっていった方がいいかなと思う。


これは遺伝なのかな。
おじいちゃんも、常に何かしら読んでいたし、母親は私の10倍くらい読書家だ。

 

映画や漫画やアニメもゲームも大好きなので、「活字とどっちがいいか?」と聞かれると、
みんな違ってみんないい、なんだけど。


読書の何がいいかって、

本当にサイコーオブサイコーの本に出会うと、読後に世界が変わる感覚があるからだ。

価値観が揺らぐって言うか、
全てのイデアが揺らぐっていうか
自分を形作っている粒子の輪郭がゆるむっていうか。


世界が美しいって思うときも、世界がすさまじく醜いって思うときもあるけど、
どっちにしろ世界の形が変わっていく感覚がある。


今はたいてい一晩寝ると戻るけど。

十代のやわらかい魂の時は、人生に直結カスタマイズって感じだった。

 


映画とかアニメとか、映像作品は、目の前に画像があるから、
たとえば「りんご」は、どうしたってりんごだけど、

読書はまず、「りんご」って文字を目で見て、それが「りんご」でも「リンゴ」でも「林檎」でも「苹果」でも、
その文字面と言葉と音と響きを頭が理解して、さらにイメージを作っていくから
映像でバチンと「これはりんご」って見せてくるより、何回か段階を経て理解をするから、イマジネーションが必要だって思う。


だからイマジネーションの自由度が活字の方がすごく高いって思うんだよね。

 

 

イマジネーションの力をもっているのって、この世界の生き物の中で、人間だけで。


人間は、鋭い爪も、強力な牙も持ってないけど、イマジネーションの力で、文化を創って、今なんとかこうやっていきてる

んだから、活字って文化の根源って思う。

 

イマジネーションは筋肉とおんなじで、使わないと衰えちゃう。

だからどんどん使って、鍛えて欲しいって思う。

 

まあ、そんな小難しいことは、どうでもいいんだけど。
とにかく沢山のひとに本を読んで欲しい! 

 

 

つづきます

 

2020/02/19 私とおじいちゃん④

 

とにかく私は近所の月極駐車場の端の方でよく泣いていた。

 

このフレーズばっかり書いてるなって思うけど、どうしてもこの「月極駐車場で泣く」って行為が、私のターニングポイントだったのだから仕方が無いんだよね。

 

泣くときは、やっぱりちょっと恥ずかしいから、なるべく駐まっている車の陰に隠れて、そこに座り込んで体を丸めて、こっそり泣いていた。

だけど、だんだん慣れてくると言うか、回数をこなすと、恥よりも、「もうどうにでもなれ」って気持ちがどんどん強くなって、
中盤からは堂々と声を上げて泣くことが多くなった。


 

家を飛び出した時には、怒りとか悲しみとか自己嫌悪とか、言葉にならない感情が、頭蓋骨の中でぐつぐつ煮たっているのだけど、
とにかくひたすら泣くと、沸騰していたお湯がすんと静まるように、感情の荒波が凪いでくる。

 

泣いてるときの私の心情は、
誰か私をみつけてくれ、こんなに苦しい私を見つけて、助けてくれ、って気持ちと、
誰も私を見つけないでくれ、こんなに情けなくて、無様で無能な私を消して欲しいって気持ちが、入り乱れていて。
 

ぐちゃぐちゃの感情が涙を流す度に少しずつ凪いでいく。
代わりに頬の皮脂が流れ落ちてしまうので、そのころ私の頬はいつも赤く肌荒れしていた。

 


本当は月極駐車場じゃなくて、市役所へ飛び込んで


「誰か助けてください!」

 

って泣き叫んだら、きっといろんな人がバッと集まって助けてくれたことだろう。


この国はまだまだアウトリーチに弱く、何事も申請主義だもんね。
 

だけど、助けを求めた人と、申請した人には、かなり手厚くバックアップがつくものだから。


 

今でもそうだけど、まだまだ世の中には、

「その家の事は家族でなんとかする」とか、

「他人に迷惑をかけないことがいいことだ」って風習?慣習?世論?美徳?のようなものが強固にある。


私もずっぽりその風潮の中で生きてたから、上手に「助けて」って言えなかった。
「助けて」って叫んで誰かに頼ることは、恥ずかしいことだと思っていた。
世間様に迷惑をかけたり、恥をかくくらいなら清く死にたい。本気でそう思ってた。

 

 

「認知症の人は、そのひとをそのまま受け入れてあげてほしい」

って偉い人があっちこっちで言ってるし、本にもいっぱい書いてある。

 

でも私は? 
 

私のことは、誰がそのままの状態で受け入れてくれるんだ?
 

家族に暴言を吐いて、手を上げそうになっている。
今日は我慢できた。でも明日には耐えきれず叩いてしまうかもしれない。
こんなに情けなくて、無様で無能な私を誰が受け入れてくれるんだ???

 

こんな気持ちになる人は私だけでは無いと思う。
たくさんの人が同じ思いを抱えつつも、
それが言葉にならなかったり、きちんと感情として固まらないまま、ずっと胸のうちでモヤモヤして、苦しんでるんじゃないかな。

 

きれいごとじゃないんだよ。こっちは毎日、痛みをともなって現実が立ち現れてくるんだ。

 

ずっと、責められているような感じがあって。
誰に責められているかっていうと、世間だ。

でも太宰の言葉を使えば、「世間とは君」なのだ。
結局、自分で自分が許せなかった。
責め続けてきたんだ。

 

ベストを尽くしたのか?って。本当に心底頑張ったのか?って
あの方法で良かったのか?って。本当に心底考え尽くして行動したのか?って。
他の道はなかったのか?って。本当は他の道を選ぶべきだったのではなかったのか?って。


そんなの誰も答えられないんだ。

答えは風に吹かれているんだ。


続きます。


 

2020/02/10 私とおじいちゃん③

認知症ケアの本を読んでると、

「その人をそのまま受け入れる」

ってフレーズが絶対的な約束で載っていて。
 

それは確かに、その通りで、正しい事なんだけど。
ある程度、余裕がなくちゃ、すっっっっっごく難しい。

 

私のおじいちゃんは、ループの話と、記憶が残らないだけでなく、物を集めて捨てないという症状があった。
 

今で言うところのBPSDの一つなんだろうけど。
ちなみにループの話と記憶が残らないのは中核症状。

 

 

おじいちゃんは自分でトイレには行けたけど、間に合わないことがあるので、尿取りパットを使ってた。
 

そのパットを捨てさせてくれないのだ。
 

部屋には濡れたパットが干されていたり、布団のなかにそのままになっていたり、タンスにしまってあったりする。
乾けばまた使えると思っているわけで。

昔の人だから「使い捨て」という概念がないのだ。

 

そのほかにもトイレットペーパーの芯とか、お菓子の箱とか、賞味期限切れの食べ物はもちろん、食べ途中で放置された(たぶん後で食べようと思って数日忘れられた)カピカピに乾ききった菓子パンも捨てさせてくれない。
新聞を切り抜くのが趣味の人だったから、新聞もチラシも捨てられない。
何度言ったって、伝わらない。
MOTTAINAI精神の権化なのだ。

 

しかたないので、こっそり捨てたりしてたけど、記憶が残らないのに、なぜかそういったことは覚えてて。

あと妙にカンがきいて、捨てたことがバレると烈火のごとく怒り散らすのだから手に負えない。

 


おじいちゃんの家には、転倒予防に玄関先に手すりをつけてたんだけど、
家に帰ってきて、玄関の手すりにずらっと濡れた尿取りパットが干されていたりもする。
 

どう思う?

刺激臭ってのは、鼻孔より先に、眼球の粘膜に刺さるって知ってる?
 

家に帰って、玄関を開けた途端、刺激臭で眼球が痛くて涙が止まらない。
アンモニア臭が玄関中に籠もっていて、私は立ちつくしたまま、眼球を押さえて泣いた。


こんな人をそのまま受け入れるって?どーやるんだ????
わからねぇ、私にはわからねぇ。20代の私の懐はそんなに広くない。

 

「なんでこんなことすんの!? パットは使ったら捨ててって言ってるでしょ!」って。
 

真っ正面から文句を言いにいって、またまた互いに精神を削り合う口げんかの開始だ。

 

あたりまえの事が通じない。
 

今思えば、互いの「当たり前」が同じではないということが、当時の私にはよく分かってなかったってことなんだけど。今なら当たり前ってのは人の数だけあるんだよね、って言える

 

「世間とはつまり君だろ」って太宰治が人間失格で書いてるけど、

「世間は君」だし、「当たり前」は「私にとっての当たり前」と「あなたにとっての当たり間」なんだ。
 

「その人をそのまま受け入れる」ってのは
その人の「当たり前」を、「私とは違うけど、なるほどそういうのもあるね」って認めることなんだなって、今は思う。

 

 

物を捨てることが当たり前の私と
物を捨てないことが当たり前のおじいちゃん。
とにかく平行線だった。

 

今思えば「捨てる」と言わずに「ちょっとしまっておくね」と言って、片付けるふりをしてこっそり捨てるとか、
何か聞かれても「捨てたよ」と言わないで、「ちょっと物置に入れてあるから後で出すね」とか言えばよかったんだなあ。

 

こういうのは、やっぱり知識とスキルがないとこなせないんだよね。
でもそのときは、子供のころから「嘘をつくことは悪いことだ」って教わってきたから、とことん正直にまっすぐだったんだよね。

 

 

続きます

2020/02/03 私とおじいちゃん②

 

とにかく私は、家を飛び出して、近所の月極駐車場の端の方でよく泣いていた。

 

今思えば、これは私の精一杯の認知症対応だったんだよね。

 

家の中でずっとおじいちゃんと一緒にいると、手を上げてしまいそうになるから。

 

手を上げちゃう。殴っちゃうかもしれない。
それはすさまじい恐怖だった。

 

こうやって、人は人を殴っちゃうんだって思った。

この気持ちが毎日毎日蓄積していったら、その先にはもっと悲惨で凶悪な感情が生まれちゃうんじゃないかなって思った。
 

殴らないためには、そこからひとまず逃げるしかない。

 

頭が沸騰して、体が震えて、心臓がぎゅーーーって痛くなる。息が詰まって、眼球の奥が痺れて。
ダメだって思うけど、ダメだっていう自分がぎゅって思考の端へ押しつぶされて。
溢れる怒りの感情で、手を振り上げちゃう。
振り上げた手はもう止められないから、
とにかく軌道修正だけ必死にして、玄関の壁を殴って、そのまま家を飛び出す。


 

今はアンガーマネジメントとかマインドフルネスとかフューチャーされてるけど、
その時は、そんな本とか無かったし。

 

だから、その場から逃げた。


認知症ケアでは、距離を取るってのはすごく大切。
それは比喩じゃなくて本当に物理的なもので。

距離的にも時間的にもってことだ。


 

幸いな(?)ことに、私のおじいちゃんは、外へ出るタイプでは無いガチガチのインドア派だったので、
私が家を飛び出しても追いかけてこなかった。

だから私は思う存分、泣くことができた。


駐車場でうずくまって泣いてるとき、このままどこへ行ってしまおうかなってよく考えた。
何もかも捨てて、消えてしまいたいって。

 

よし、そうしようって決めたすぐ後に、
私がいなくなったら、どうなるんだろうって考えた。
おじいちゃんの世話は誰がするんだろ?
私の親が仕事を辞めて介護するのかな? 他の叔父の家とか他の親戚の家へ引き取られるのかな? 家にずっといたいっていってるガチガチインドア派なのに施設にはいるのかな?
施設の維持費ってうちで払えるのかな? 年金で足りるのかな? 何年払い続けるのかな? それでいいのかな? 仕方ないって思えばいいのかな?

いつだって答えは出なかった。


夕暮れ時になると、近所のでっかいお寺にむかって大量のカラスが都心から戻ってくる。
赤く染まっていく空を、真っ黒な鳥の大群が覆うのを眺めながら、私の帰る家は、あそこなんだって思った。

 


ここで、良いことが1つあって。
おじいちゃんには近々の記憶が残らない。そのことがプラスに作用していたこと。

 

私が泣きはらした顔で家に帰っても、
おじいちゃんは、私が腹をたててすごい剣幕で家を飛び出していったことはすっかり忘れているので、
 

「おう、おかえり!」
 

って普通に出迎えてくれるのだった。

 

「顔赤いぞ、どーした?」って普通に言うから。

 

だから私も、なんか気が抜けて、いろんな事がバカバカしくなって、

「ただいま」

って笑って返してた。
 

続きます

2020/01/25 私とおじいちゃん①


同じ話のループを聞き続けるってのは、本当につらいんだよね。
あまりにも同じ話をずっとずっとずっと聞いていると、脳みそが溶けていくような感覚があって。

自分がどんどんバカになっていく恐怖があって。

そこから逃げるために

「あーーもう!うるさい!!いいかげんにして!!!」

って怒鳴ってしまう。

怒鳴ってしまった一瞬後に、そんな言葉を怒鳴った自分に自己嫌悪して、罪悪感抱えて、唇噛んで、家飛び出して、近所の月極め駐車場の開いてるスペースでわんわん泣いて、通りかかる人に不審な目で見らて、惨めな気持ちになって、よけいに涙が止まらなくなって。

 

これが日課。私とおじいちゃんの関係。


私がおじいちゃんと一緒にいたのは、20代の前半で。
私のおじいちゃんは認知症で。
 

認知症にもいろんな種類があるけど、私のおじいちゃんはアルツハイマーともともとの頑固な性格が強化されたのが加わっていて
主な症状としては、同じ話のループと、こちらが伝えたことがほぼ記憶に残らないという状態だった。

 

これはアルツハイマーの典型的な症状の一つなんだけど、
そのときは認知症の知識とかぜんぜん無かったから、対応するスキルもゼロで。
毎日ループする会話と、記憶に残らない情報のやりとりに、正面から全力投球で真っ向勝負!だった。


「その話何万回も聞いたっていってるでしょ!! なんで私の言ったこと覚えてないの? 何度も言ったよね!?」

言葉の刃をふりまわして、毎日全面戦争。
 

正しい言葉を打ちまくれば、いつか勝利が来ると思ってた。
 

果たしてその勝利が何を指すのか?  
 

その勝利とは、おじいちゃんが、まっとう(って言い方は微妙かな)になる。つまり記憶がきちんと残って、同じ話をしない状態に戻るってことで。

頑張って正しいことをやり続ければ、きっと勝利がくるんだって、信じてた。

 

子供の時から、信じればなんとかなるって教わってきたし。頑張れば結果はついてくるって習ってきたし。
だからめちゃくちゃ信じて頑張ってた。
あと、他人様に迷惑かけるなってのも言い聞かされてきたっけな。

 

今ならわかる。

認知症ケアはスキルも知識もなく、情熱だけで全力投球したら、介護者も当事者も、とにかくへとへとになってしまうんだって。

 

確かに野球だって、ちゃんとコーチをつけずに自己流で全力投球しまくってたら、肘壊しちゃったり故障しちゃったりするもんだもんね。


認知症ケアにもやっぱりプロのコーチが必要なんだなって、今はわかった。

それが介護職なんだよね。
 

それと、人には頼っていいし! 時には迷惑かけたっていいんだよ!

ってこともわかった。

 

でも、そのときは、本当に何も知らなくて。ただただ一生懸命で、それしかなかったのです。

 

続きます
 

2020/01/20 新年の抱負として…

ヘルパーステーションの管理者になってから、このブログで社会派コラム(のようなもの)を書きたいと、2019年中ずっと言ってたんですけど。


これっぽちも実行できなくて。
 

気づけば2020年も20日も過ぎてて…。
自分の無能さと行動力のなさにげっそりな日々を送っています。
 

とにかく見切り発車でやっていこう! って決めて、イマココという感じ。
 

人生も仕事も結局はトライアンドエラーでしょ。


って、いっとけばなんかそれっぽいかなという逃げ口上なわけですけど。

 


この仕事って、個人情報が絡むから、オープンな文章を書くときってとっても気をつかうわけです。
だからって、あちこち気を遣いまくって、誰も傷つかない&誰にも嫌われない、きれいな文章と語彙を探して、うまく立ち回ってばかりいたら、本質を見失ってしまうように思うわけで。

 

とか言って、「果たして本質とはなんぞや?」と問われれば、なんだかマゴマゴしてしまうので、私はだいたい理論武装がザルなのでして…。

つまり何が言いたいかというと、ここには他者のことは書かずに、ひたすら自分の事を書こうかなと思う、ということです。

 

そんなん自分のフェイスブックに書いてろって思う人がいると思うけど、
ゆいまぁるっていう法人のことを気になって調べている人に、
「へえ、こんな人も働いてるんだ」って知ってもらえたらいいなって思ってて。


総括すると、職員集めのツールってことなのです、身もふたもなく言えば。

 

このブログは3部構成で行こうかなと思います
私は、だいたい計画だけは立てるのが早いのです。実行できるかはおいといてね。
 

1私とおじいちゃん
2私と訪問介護
3私と読書


そんなわけで、このブログはどこに辿り着くかはわからないけど、
最終的には石炭袋に到着するだけかもしれないけど。
それでも書けるとこまで賭けてみようって思う。
なんでもトライアンドエラーだもんね。


 

オクムラ

2019/03/12 春の足音…

    見事な段飾りの「おひなさま」       まもなく100歳を迎えようとしているU様

 

40年前、お孫さんの為にU様が購入されたものですが ……今年とうとう処分されるとのこと。思わず、撮らせていただきました。

 

先日、老人会で踊りを披露されました。今でも毎週、踊りの練習に行かれるそうです。

~シャキッとした立ち姿に、改めて感動!

                                       (K.S)

2018/11/21 秋の陽に誘われて

 

 

澄みきった空の下、黒目川沿いを歩くF様に遭遇

 

体調良い時は、歩行器で図書館やスーパーまで

リハビリがてら歩いているとのことです。

「調子もいいし、気持ちいいねぇ」と笑顔です。

 

 ♪ 利用者様の素敵な笑顔に、私達もパワーを

       もらえる、そんな毎日です。

 

 

よく見ると、ハンドル(グリップ)の高さが

左右で違っています。

 *通常、原則として道は路肩に傾きがあり、

  どうしても身体が傾いたり、真直ぐ歩こう

  とすると余計な力が入ってしまいがち。

 

それを防ぐために、ご自分で左右を調整したそうです。 いろいろと工夫したおられるなぁ~、

さすがだなぁ~と感心しました

 

 

 

~ たまたま訪れた清里高原で ~

 

すぐ目の前に赤とんぼが…!

近づいて、思わずカメラにおさめました。

 

この頃はなかなか見かけなくなりましたね。

 

 

 

 

 

                    (T.O.)

 

 

2018/09/19 秋が待ち遠しい…?

 

 

         田んぼの中にユニークな " かかし " を発見! -8月末 韮崎にてー

         円野町では、例年8月~9月に 案山子祭り が開催されるそうです。

         (ちなみに、この日から数週間後には、すっかり稲刈りも済んでいました)

 

 

  

  

 

 

   2週間ほど前に生まれたばかりの牛の赤ちゃん。

        - 野辺山、滝沢牧場にて ー

 

  

    絞りたてのミルクで作ったソフトクリームが

    おいしかった ♪♪♪

 

 

 

 

  

 

 

 

 

   ちょっと雲の帽子をかぶっていますが、

  とても美しい富士山です。

  心が洗われるような気持ちになりました。

 

                                                                (T.O)

 

 

 

2018/07/24 花の香り…幻想的な光…を楽しみました・

 

まぶしすぎる「青空外出」達成!! 6月下旬

目標を叶えるべく、医療、看護、PT、ST、ヘルパーst.…

チーム一丸となって支援に関わり、達成できました。

 
そしてその1週間後満開のバラに満面の笑み。

バラはやっぱり良いですね~香りも十分楽しみました。

   次に満開になるお花は何でしょう?

 

 

 

源氏ボタルの里にて…     7月 山梨にて

 

 

 

手の甲に停まってくれた人なつこいホタル。

聞いた話では、点滅の速度が日本の西と東では違うとか。関西のホタルのほうが、ややせっかち??

(携帯の設定がうまくできなかったため、光飛び交う幻想的な場面が撮れず残念!)

 
 
 

 

2018/06/14 季節の移ろいがあまりにも早すぎて…?

 

3/21 お彼岸というのに…

  なんと、が降りました!

 

 

 
 

~  その1週間後、川沿いでは…

   すっかりの風景

 
 

 シラサギや鴨もうららかな陽の下、

 春を楽しんでいるようです。

 

 

 

名前のごとく咲いてます!?

4月半ばにもなると、あちらこちらでツツジが咲き、

5月にはサツキも見られました。

(ツツジとサツキの違いがよく分からない私でしたが、  庭いじりのお好きな利用者Nさんに教えていただき

 ました。こういった何気ないことも訪問中の喜びの

 ひとつでしょうか)

 

  よく通る教会前の紫陽花(アジサイ)。

土壌の性質や咲いてから散るまでの間に花色を変えること

から、花言葉は「移り気」と今まで言われていましたが、

最近では「家族団らん」という花言葉も広まっています。

 

色などによっても違う花言葉は……

   ピンク~赤紫 → 「元気な女性」

   白色 → 「寛容」

   ガクアジサイ → 「謙虚」

 

何となく、まるで「私達のあるべき姿」のようにも

思えます。 (T.O)

2018/03/07 利用者様の笑顔が何よりうれしい…

 

 

    

「ほら、見て~やっとできたのよ」                  季節ごとの咲花や実をつける花木を、いつ                               

入浴介助で訪問するたび励ましていたペーパークラフト。        も嬉しそうに眺めておられる方です。

”世界にひとつだけ”の素敵な作品になりました。            今日は庭先に鳥が止まって一休み…

                                  (赤い○のところに鳥が止まっています。)

                                  つい笑顔がこぼれます。

2017/11/29 地域の自治会も頑張っています。

 モデル地域にもなっている氷川台自治会の防災訓練の様子を見に行ってきました。

 

      

    緊急ひなん具 「おんぶ隊」         非常用階段非難車 「エクセルチェア」

 荷物や階段の手すりを持って避難することが    絶えず4輪走行し、狭い階段や路地、踊り場、      

 できます。小柄な女性も体験してみました。    荒れた路面でもスムーズに運べます。                                    

  

2017/11/25 秋の風景

 

神宮外苑の銀杏並木のを見に行ってきました ~

 

今年の秋は急ぎ足で過ぎていってしまいそうです。

 

 

 

 

2017/09/19 夏の思い出

 

 

 

 

山梨県北杜市に行ってきました ~ 尾白川渓谷

 ”南アルプスの天然水”の源流でもあります。

 

  ~ どこまでも続く ”明野のひまわり畑”

   ビタミンカラーには元気づけられますね!(^^)!

 

  

 深川八幡本祭り ~    8月13日 門前仲町         

 

 俗名、”水かけ祭り”として知られています。

 55基もの町神輿が勢ぞろいし、約8㎞を渡御。

 ねり歩く神輿に向かってバケツや消火栓を使っての放水

 が見どころとなっています。            

                          

                      (T.O.)

   

 

 

 

          

       ハトの抱卵 ~  8月 Kさま宅にて

 

 いつもメダカや色とりどりの花鉢に癒されているKさま宅。

 何と今度はハトが卵を産み付け、温めているところを発見しました!

 ヘルパーが洗濯物を干す時は、驚かせないようそーっと行いました。

 

 

 …このあと、無事にヒナが孵り、かわいい姿を見せています(^_^.)  

 

 

     

 

2017/03/21 春の訪れ

寒暖の差はありますが、風は暖かくなり、移動が楽しくなりました~   2017年3月16日(w.k)

   

  東久留米第二小学校の菜の花              滝山団地のふきのとう

   

  ひばりが丘団地の河津桜                落合川の鷺

      

  イグアナも散歩中(深大寺にて)                                  散歩中…(?)            

        

      

2017/02/18 もうすぐ春です

梅に誘われて皇居に行ってみました

   

平川門で手荷物検査                     募集のポスター                   

   

宴会はできません                     平日でも色々な国の人が来ていました

   

有名な天守閣跡                      二重橋                     

   

河津桜も咲いていました                  憲政記念館にも                  

   

河津桜                          寒桜  

次の日は春一番が吹いて寒さもあと少し。頑張りましょう  2017年2月16日(w.k)

 

 

2017/01/27 寒中お見舞い

寒さ本番です。元気に乗り切りましょう(w・k)

  

あやしいものではありません。寒さとまぶしさ対策     鷺は寒くない???                 

  

代々木公園の河津桜                   春よ来い、早く来い                

    

異文化体験・代々木上原                東京ジャーミイ・トルコ文化センター          

2017/01/14 今年もよろしくお願いします

 今年は各地の初詣をめぐり、「健康でありますように・・・」とお願いしてきました。(w・k)

 

  

中宮寺(菊のしめ縄がかかっています)         法隆寺                                                                

 

      

奈良公園の鹿は横断歩道を渡る             東本願寺

 

  

宝泉寺                        神田明神

 

  

多門寺(梅と蝋梅が咲いています。)          東久留米駅舎から見た富士山

  

 

2016/12/16 秋の終わりに会いに行く

 

2016年11月24日 

東大のハチ公です(先生に会えてよかったね)                   安田講堂前

 

三四郎池(今年は漱石没後100年)                      東京芸術大学

 

上野寛永寺

     

寒さはこれからが本番。風邪などひかないように体調管理しましょう(w・k)

2016/11/28 雪にも負けないヘルパー

2016年11月24日

11月で雪。つい1週間ほどまでは紅葉していた木々が、雪で真っ白になっていました。

  

ヘルパー奮闘する

転倒の報告や怪我もなく 、みなさまお疲れ様でした

次の日の朝

  

六仙公園                       道路はアイスバーン状態  慎重に移動します(w.k)

 

 

2016/11/23 雨上がりの朝

2016年11月20日

移動中にみつけました

東久留米のちいさい秋です

8/22 台風9号で被害を受けた西武線の土手の工事が

始まりました(成美会館の近く) w・k

 

  

    

      

2016/11/21 新そば食べに行きました

2016年11月17日

 

東小金井駅~武蔵野公園~野川沿い~深大寺~門前そば

約10キロを小春日和のなか歩きました

所々紅葉も見ごろでした

カモも水浴びしていて気持ちよさそうでした

深大寺を抜けて街道筋にあるおそばやで

新そばと焼酎の蕎麦湯割を美味しくいただきました

w.k

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016/11/16 市民祭りに行ってきました

 2016年11月13日

市民祭り2日目に行ってきました。

お昼を食べてからのんびり出かけたら、

お目当ての野菜の宝船は解体されていました。

1日目には「手と手をつないでみんなで東久留米音頭」 

というイベントがあったそうです。

ゆいまぁるのヘルパーも数名参加しました。(w.k)

 

 

 

 

 

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